マラッカ海峡                    S 年 2月1日

 

 

 

大叔父の行程がわかったのは、横浜高工の同窓生の方が記してくださっていた

 資料によります。

  それによると、昭和17年3月にラングーン(現ヤンゴン)から海路で

 ビルマ(現 ミャンマー)に上陸、とあるのですが

 この絵の年のところが 何年かよく読み取れず、 もしかしたら、帰るときかも知れません。

 だとしたら、昭和18年2月1日。

 イラワジ河畔のこのサイトの最後の絵が 昭和18年1月31日なので、

 もしかしたら、日本に一時帰国するときの船からの絵かも知れません。

 

 なんとなく、絵の雰囲気からして、帰国するときのような気がします。

  どこかほっとしたものが 感じられるような。

 

 マラッカ海峡、インドネシアのマレー半島とスマトラ島の間の 海上の要所として

 知られる海峡ですが どのような想いで海峡を見つめていたのでしょうか

 

 彼は、昭和17年1月頃から 昭和18年1月末まで一年弱を

 ラングーンから 北上してメイミョウ、ラーシオ、中国の雲南省へ

 そして、ラングーンから一時帰国しています。

 

  昭和18年3月にいったん 徴兵解除になり

  またすぐに徴兵され、フィリピンレイテへ赴きました。

 

  一時帰国した際に、銀座で個展をしたということなのですが

  これらの絵は 最初に戦地に赴いた、その一年弱の間に

  軍用はがきの裏に描かれたスケッチです。

 

  絵を日時のわかるもの、場所のわかるものについては

  なるべく 時系列で並べてみました。

   

  タイトルや地名は 絵の中や、はがきが貼られていた黒いラシャ紙に 記されていたものです。

  現在、不適当な表現もあるかも知れませんが、そのまま掲載しますので

  ご容赦ください。

 

 


船艙の馬欄                      S17年3月

 

これは、戦地へ向かう船の中だと思いますが 

 軍馬も一緒に連れて行っていたのですね。

 珍しい絵だと思うのですが、

 彼は 大変動物が好きだったようです。

 

 私の母(つまり彼の姪)が幼少の時、電車に一緒に長時間乗っていて、

母が飽きないようにスケッチブックを取り出し、

馬の絵を描いてみせたりしてくれた、と母が話していました。

 生きているように、生き生きした馬の絵だったそうです。

 

 上から見下ろしている図ですが、この構図なかなかのものだと

 思います。小さなハガキに 船の大きさが感じられ、

 また日々の役務から離れたひとときだったのか

 ちょっとした休憩のゆとりが 感じられます。

 

 

 


船上警備                     S17年3月21日

 

 ウチにあった絵は あまり戦争の色あいがない、

 どちらかというと 人物とか風景とかの絵が多かったのですが

 今回、親戚から集まった絵の中には 戦争を感じさせる絵が

 数は少ないものの 何枚かありました。

 

 あまりアップするのも気が進まないのですが、

 スケッチとして ご覧いただけたらと思います。

 

 この絵もその中の一枚ですが、

 タイトルからして、日常の警備をスケッチしたものかと

 思われます。

 

 彼の任務は、戦地に戦争に先かげて 橋や空港を

 作るという工兵隊の任務でした。

 

 日本がビルマのラングーンに上陸してから

 しばらくは戦況はどちらかというと 日本に有利に

 進んでいたようで、その進軍に先駆けて各地に

 橋や道路を作るという任務だったようです。

  

 

 

 


忙中閑有り                    S17 3月18日

 

 忙中閑有り というタイトルと 船の甲板らしき風景からして

 任務の合間に腕相撲か何かをして 休憩時間を楽しんでいる

 兵士達の様子のようです。

 

 長い船での生活、ミヤザキの場合は絵を描くことが楽しみだった

 わけですが、他の方々もきっと何かの楽しみを

 もっていたのでしょう。

 

 ちなみに、彼はお酒を嗜んでいたかどうかは不明です。

 実家はお酒を作っていたと聞いてますが、

 祖母(彼の姉)は下戸でしたが。

 

 故郷の大分県日田市 豆田町。

 今はお雛様祭りや、古い町並みが人気ですが

 今も昔も 三隈川の流れは変わらず

 水郷日田、私にとっても故郷のような町です。

 

 

 


砲兵掩護                       於 トングー

 

 これも 珍しい戦地らしい絵のひとつです。

 こんな絵があるんだ(戦地からの絵なのであたりまえですが)と

 思いました。

 

 あまりアップする気持ちになれない絵のひとつですが。

 

 いかにも 南方らしいヤシの木。暗いのは夜なのかジャングルなのか。

 星のように見えるのは星なのか、飛行機なのか砲弾なのか

 

 星と思いたいところです。

 

 この絵にはタイトルがあり、また地名も記されていました。

 トングー (ミャンマー)です。

 

 このサイトを作るにあたって どうしても避けて通れない

 当時の戦争の記録を調べました。

 

 連合軍は中国の蒋介石と結び 日本と戦うために

 ミャンマーと中国の山岳地帯を結ぶ 軍事道路を

 建設し、軍事物資を中国へ輸送しようとしていました。

 ビルマ公路(滇緬公路)です。

 

 日本軍はこのビルマ公路を抑えることに

 成功します。

 しかし、連合軍は 後に別公路の建設に成功し

 形勢を立て直してビルマ戦線は悲惨な最後を

 迎えることになるわけですが、

 彼が居た頃は、まだ形勢が傾いていなかった頃なので

 この絵は初期の頃の絵だと思われます。

 

 この公路はミャンマーのラーショーから中国の雲南省に伸びる

 道路で このトングーというところも その途中の町です

 

 

 トングーという地名で 検索すると

 美しい寺院の写真があったり 今はものものしい雰囲気は

 感じられないのですが……