マツイチロー・ミヤザキは、私の大叔父にあたります。

 

 私が小さい頃 祖母の家に行くと額に入れられた 

 素晴らしい小さな絵がいくつか 

 大切そうに飾られていました。

 祖母の弟は、女ばかりの6人きょうだいの中で唯一の男性。

 ハンサムで とても人気があり、自慢の弟だったそうです。

 

 黒いラシャ紙に 裏打ちされた小さな絵は 

 紙質も良くない、薄い軍用ハガキに描かれたものでした。

 ペンと簡単な水彩の着色の絵は、子供心にも

 ひびくものがありました。

 

 彼の絵は、親戚中にありましたが、その全貌を 私も知りません。

 近年、親戚も年をとったり亡くなったりして 絵が散逸。

 危機感を覚え、まとめてみることにしました。

 

 

 

 彼は 横浜高等工業学校建築学科を卒業し、徴兵されて

 戦地に橋を架けたりする任務について

 中国雲南省、ミャンマー、ベトナムなどを転戦し、

 一旦帰国し、徴兵解除されるも

 すぐにまた徴兵され、レイテで玉砕しています。

 享年29才の若さでした。

 

 彼の絵をご紹介するにあたり、

 戦争について 避けて通れません。

 そのため、絵をまとめるというのは ある意味、精神力が必要な気がしていました。

 

 安易にまとめて よいのもか。

 

 やっと 大叔父の心に向き合うことができるような年になったのかも

 知れません。(笑)

 

 

 平和への祈り、大叔父の遺志、ご供養 そういった思いは

 もちろんあります。

 しかしながら

 センスある、素敵な人だったという大叔父の

 絵の素晴らしさ、私は ひとりの若きクリエイターとして

 大叔父をご紹介したいと思います。

 

 一時帰国した際に、銀座で個展を開いたと聞いています。

 

 「意外と 弾ってあたらないものなんだよ」

  ドラム缶の影で弾を避けながら スケッチしていたという

  話も 母から聞きました。

 

  なんという 究極の余裕なのか……… 

 

  絵は もっとあったと 思います。 

  私が覚えている絵で 集まらなかったものもあり、

  まだまだ 出てくるかもしれません。

 

  同窓生の資料では、

  一時帰国した際に、皆に公開した絵は 百数十点あり、

   皆を驚かせた、と、あります。

 

 

  今回は、家に保存していた 5枚をはじめ、

  親戚から送っていただいた 数枚の原画、

  原画のコピー集、そして、貴重な同窓生の方の資料が 集まりました。

 

  エピソードや、私の聞いている話 貴重な資料もご紹介しながら、

  マツイチロー・ミヤザキ の 絵をお楽しみいただけたら 幸いです。

 

  このホームページは、加筆していく予定です。

   絵をお持ちの方、もし彼について 何かご存知の方がいらっしゃいましたら、

   ご連絡もお待ちしています。

 

   

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お知らせ

このたび
私の大叔父の マツイチロー・ミヤザキの 
ささやかな個展を 開催させていただくことになりました。

軍事葉書に描かれた
原画を含む30点あまり、
時空を越えて甦る彼のインスピレーション、センス
是非ご覧いただけましたら幸いです。

場所 なみきスクエア内 東図書館
    福岡市東区千早4丁目21-45 (千早駅西側)
       駅からすぐです

 会期 2022年 4/26(火曜)~5/29(日曜)
   入場無料
 
 壁面展示ですので、通りすがりにご覧いただけます。
 
 パン屋さんのカフェもありますよ✨